トップページどーなってるのさ東村山新編東村山かるた@新編東村山かるたA新編東村山かるたB新編東村山かるたC時事放談東村山を語る@時事放談東村山を語るA時事放談東村山を語るB時事放談東村山を語るC東村山癒しのスポット東村山おすすめリンク集ココ・パピラス営業のご案内 時事放談東村山を語る@

だいじょうぶかぁ?東村山 今や人口が15万人を突破し、我らが渡部尚市長のもと、新たな時代を築き上げようと未来に向かって躍進する東村山。「んだどもよぉ、ちっとんべぇ不安が残るだいねぇ」というのが、市民の皆様の偽らざる心境ではないかと存じますのよ。東村山版の行財政改革や事業仕分けは結構ですけれども、それでどんなになるかはちっとも見えてこなかったりしますのよねーっ。ソンナコンナで、東村山の零細ミジンコ企業ではたらく高卒&中卒のスチャラカ・コンビが、シコタマたまった日頃の不満の怪気炎をブチかまします。果たして東村山の運命はいかに!!

出席者 王白姫 陳文民

ユルユル感の向こうに見える東村山の位置付け

王 アタクシなんかは東村山の会社でシゴトをしていながら、もうン10年所沢在住のままでございますからっ、もうかれこれ15年以上東村山にお住まいの陳さんが越してきた時の第一印象みたいなものを、まず最初にお聞きしときたいと思うんですけど…。
陳 確か私が所沢市から東村山市に引っ越してきた翌年が市長選の年で、マンションの集配ポストにいろんな候補予定者の事前運動チラシが入ってたんですけど、先日亡くなった当時の現職、市川一男市長のチラシに「東村山市の目標の位置付けは田園調布!!」と書いてあったんですね。もうね、それが本気なのかジョークなのか一瞬わからなくて、チラシを手にとってしばらく呆然としたあと、頭の中が真っ白になりましたね。とんでもないところに越してきちゃったなというのが正直な実感でした。
王 “目標”じゃなくて“目標の位置付け”というところが微妙ですわね。
陳 そうそう。で、東村山市役所に転入届を出しに行ったわけですけど、やっぱり市役所の雰囲気にしても、なんとなくのんびりしている気がしましたね。で、時間があったので市庁舎の食堂で昼食をとったんですけど、確かフライ定食だったと思いますが、それが作り置きしてあるんじゃなくて、注文を聞いてから目の前で揚げてくれるから、とってもおいしかった記憶があるんですね。それと、今はたぶん置いてないと思いますけど、食堂にはビールや日本酒もあって、あたりを見回したらすでに酒盛りをしているオジサンがいたりなんかして、そのユルユル感に感動すらおぼえましたね。
王 私も東村山の最大の魅力はユルユル感じゃないかと思うんですのよ。もちろん、そのユルユル感の裏には、怠惰とか傍観主義だとか大志を抱かないとか、いろいろとマイナスのイメージもつきまといますけど、このユルユル感というか田舎臭さみたいなところが、東村山の魅力のほとんどだったりしますものね。

陳 そのへんが所沢とは大きく違うところで、私の高校時代の友人の田村君(所沢在住)のアダ名は“百姓”でしたから、かつては所沢も大いなる田舎だったはずなんですけど、いつのまにかビルは建つは道路はできるはで、バブルの波に乗って一時は地価の上昇率が日本一になったりして、アレヨアレヨという間に大発展を遂げました。その裏には、地上げ屋だとかワンルーム・マンション問題だとか、旧住民と新住民の対立だとか、発展途上の歪みがオリみたいに残ったわけですけど、東村山は幸か不幸かそういうこととはほぼ無縁でしたね。

事件の背後に見え隠れする“東村山音頭”の呪い

王 でも、東村山ってなんだかいろいろと事件が起こる街ではありますよね。
陳 ホントにそれはそうですね。私が越してくるちょっと前に、17人のお年寄りが亡くなった老人ホーム松寿園の火災事件がありました。まだ所沢市に住んでいた頃の話ですけど、テレビのニュースで見て「東村山ってそんなコワイ事件が起こる街なんだなあ」と意外に思った記憶があります。あとはやっぱり、中学2年生4人が首謀者だったホームレス暴行死事件、さまざまな疑惑を呼んだ某女性市議の転落死事件だとか、市民課職員の公金横領事件、最近では都営アパートで起きた殺人事件が未解決のままですし、郵便局での500万円の強盗事件もありました。これは誰のせいとかいうことではないかもしれませんが、市民としてはなんだか呪われているような気にもなっちゃいますよね。ここらでババーンと厄払いでもしとくべきじゃないかとつくづく思っちゃうワケですね。
王 そういう東村山の呪いの源泉っていったいなんなんでしょうかしらね。
陳 私は“東村山音頭の呪い”という感じがしてるんですけどね。確かに結果的に志村けんは有名にしてくれた恩人ではあるんだけど、結論からいえばお笑いのネタとして茶化されちゃったワケで、かといって東村山に来れば笑えるような面白いものがあるわけじゃなし、イメージと現実のギャップにみんなで翻弄され続けてきたというのが、東村山の過去40年ほどの歴史だったりするんですね。せっかくタナボタで手に入れた知名度を長年にわたって活かしてこれなかったんですからね。市は一応、志村けんに感謝状を贈ってますけど、実際は「変なイメージを刷り込まれて厄介なこった」っていうのが本音で、それ以後はほぼ無視し続けてきたわけですからね。ま、それはそれとして、最近やっと始まった“黒焼そば”の町おこし運動なんていうのはとってもいいと思うんですけどね。
王 でもね、アタクシも食べましたけど、なーんかイマヒトツって気がするんですのよね。そもそもがイカスミ・スパゲッティの焼きそばバージョンなんだし、店ごとにレシピが違って味も大きく変わっちゃうってこともあるし、東村山のイメージを膨らませるような展開にはなっていないし、何かにつけて詰めが甘いって感じですわね。
陳 だいたい、私も引っ越して来てから15年以上経った今になってつくづく思うのは、「何かが足りない」「何かが足りない」と思いながら暮れていく街だってことですね。なんだかまるで私みたいな街だなあと思ったりもするんですけどね。

何をやっても盛り上がらない尻切れトンボの街

王 だいたいですわね、東村山で始まった企画やイベントって、ほとんどが尻切れトンボで終わっちゃってる気がしますわよね。予算の少ないところをアイデアで勝負するというような、独創的工夫みたいなものがなかなか出てこないですわね。なーんか新規性のあることをコワがってて、我田引水でお茶を濁してるようなね。なーんでそうなるの!?って感じなんですけどね。
陳 私はそれは、やっぱり住民の帰属意識の差という気がするんですよね。昭和20年の東村山の人口はほぼ1万人だったのが、今では15万人を突破しました。戦後の高度経済成長にシンクロして発展を遂げたわけですけど、別にとりわけて東村山にそんなに魅力があったのかというとそうではなくて、たまたまそこに住める隙間があったというようなことじゃなかったかと思うわけですね。東村山音頭が爆発するまでは、なんてことのない無名の市だったんですね。政治的にも投票率の低さに裏付けられた無風状態が続いていて、東村山市商工会の会頭がそのまま次期市長になるというレールができあがっていました。私は今でも、もし志村けんがいなかったらどうなっていたんだろうかと考えます。東村山音頭が爆発する前、実は市名変更の計画があったらしいんですけど、ひょっとすると市名変更が効を奏して、国宝というコンテンツをバックにした、歴史と文化の街として知られるようになったかもしれません。どこかでボタンをかけ違えてしまったという気がとてもするんです。
王 別の見方をすれば、何をやっても盛り上がらない街っていう気もしますわね。ノリが悪いっていうかね。「どうせ盛り上がらないんだったら、この程度でお茶を濁してやめておこう」っていう気持ちもわからないではないですけどね。“市民産業まつり”のパンフレットにしても、最近作られた“東村山まち歩きラリー”のパンフレットにしても、同じお金をかけるんだったら見ていて楽しくなるようなものにすればいいのに、ほとんどの市民が5秒で捨てちゃうようなアナクロな内容なんですものね。
陳 最近は、“どんこい祭”とか“てんしゃばフェスタ”とか、商工会の青年部なんかが中心になった、それなりに新機軸のイベントが開催されるようになりましたが、でも、やっぱり私なんかは「目玉がない!!」っていう気がするんですよね。単なるテーマとしてではなくて、「これはゼッタイに行かなきゃ!!」と思わせてくれる訴求力がないんです。なーんか高校の文化祭みたいですよね。行けばそれなりに魅力はあるんだけど、みんな想定内の魅力ばかりで新しいものが何もない気がします。「これが東村山だ!!」っていう主張がないというかね。

王 だいたい、みんなが本当は何をめざしているのかってことが、なーんかほとんど見えてこない街ですよね。
陳 そういうことを突き詰めて話し合う場がないから、山に登らないで麓ばかりウロウロして、「この山は高いだいね」とか当たり前のことだけ議論して、問題に発展しそうなことをいつの間にかタブー視してるから、いつまで経っても向上心が生まれないという感じはつねにありますね。
トップページどーなってるのさ東村山新編東村山かるた@新編東村山かるたA新編東村山かるたB新編東村山かるたC時事放談東村山を語る@時事放談東村山を語るA時事放談東村山を語るB時事放談東村山を語るC東村山癒しのスポット東村山おすすめリンク集ココ・パピラス営業のご案内


時事放談東村山を語るAへ続く


inserted by FC2 system