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偽りの徴兵陸軍少年通信兵学校

偽りの徴兵陸軍少年通信兵学校
 太平洋戦争末期の日本では、致命的に不足した人員を補うために、未成年の少年を武器製造や塹壕掘りに駆り出したり、少年義勇軍と称して満蒙開拓に派遣させたり、予科練や少年飛行兵学校を通じて特攻隊に入隊させたりしていましたが、同じように少年を戦争に送り込む施設がかつて東村山にもありました。それが、現在は文教地区となっている富士見町12丁目にあった「陸軍少年通信兵学校」です。
 15
歳前後の少年が2年の年限で通信技術を学び、卒業後は陸軍の補助要因として軍務に従事しました。戦死者に関する正確な記録は存在しませんが、昭和19115日、繰上げ卒業により「南方特別演習隊員」として派遣された600名の少年通信兵を乗せた輸送船は、済州島と五島列島のあいだの海域で撃沈され、多くの海没戦死者を出したことがわかっています。
 2000
年頃までは、元は同校の浴室や医務室だったとみられる、払い下げの建物を改造したアパートが数棟残っていたそうですが、現在残っているものの中で当時のものだと断言できるのは、旧正門前にあった橋の石造りの欄干だけなのだそうです。
 いわゆる“戦争遺跡”は、1970年頃までは全国各地に残っていましたが、「悲惨な戦争を二度と思い出したくない」という思いも重なって、高度成長とともに加速度的に姿を消しました。うーん、なーんか間尺に合いませんのよね。

乗り換え客は神様です秋津商店街
 西武池袋線の秋津駅&JR武蔵野線の新秋津駅は、1日平均で約15万人の乗り換え乗降客が利用するトランジット・ポイントですが、両路線は交差しているというのに駅同士が離れていて、約400メートルもの距離があります。かといって全天候型アーケードがあるわけじゃありませんから、これじゃやってられないワっという乗降客の声は高まるばかりで、なんとか両駅の距離を縮めて直結できないかという計画が何度も立てられているんですけど、そのたんびにポシャっています。
 その背景には、両駅を結ぶ道路沿いに展開している商店街の、「直結しちゃったら人通りが絶えて商売にならなくなる」という不安が根強くあります。それじゃあというんで、東村山市役所と清瀬市役所は、せめて再開発計画を立てて迷路のような道路を整備しようと奮闘しているのですが、地権者との話し合いが折り合わずほとんど進展していません。
 ま、この「地権者と折り合わず」というのが、日本全国の都市計画のお決まりのネックになっているようですけど、お役所の担当者は本当にあらゆる手段を尽くして誠心誠意邁進しているのかどうか、テレビ番組の特集なんかで採り上げられてるのを見ると、一方的に文句ばっかり言ってるような気がするんですけどね。どーなんでしょうかしらね、ソコントコッ。

お腹が空いたら東村山グルメ日記

お腹が空いたら東村山グルメ日記
 東村山という偉大な田舎都市をフューチャーしたサイトは、市のホームページをはじめいくつかありますけど、なかでもダントツのアクセス数を誇るのが、200411月にはじまった名物ブログ「東村山グルメ日記」なのでありますよ。
 管理人のmasaさんは、20074月から特殊な任務に付いてしまったので、いったいどーなることかと思いきや、ソンナ心配はぜんぜん無用で、最近はほぼ毎日更新するほどの大進撃。東に新しい店ができたと聞けばスッ飛んで行き、西の店に新メニュー誕生と聞けば早速行って試食し、南に評判の店があると聞けば馳せ参じ、北の店がまもなく閉店と聞けば行って別れを惜しみ、その驚異的な行動力には敬服するばかりで、まさに“東村山を食べ尽くした男”といっても過言ではありません。
 なんといってもアリガタイのは、ブログでありながら〈店名50音順〉〈最寄り駅別〉〈ジャンル別〉の一覧表がちゃんと付いていること。これがアルのとナイのとでは、便利さに雲泥の差がありますのよね。
 たまーに「美味しくなかった」という過激な苦情コメントも寄せられるそうですけど、ソレって草の根一家のイチャモンだったりしませんかね。もし違ったら御免なさいましね。

★東村山グルメ日記2

クルマ買うなら何はなくともココ・モビロ

クルマ買うなら何はなくともココ・モビロ
 うーとね、こないだまで“く”の札は「クルマじゃ行けないふるさと歴史館」だったんですけどね、先頃おこなわれた当ホームページ審議委員会の全市一斉調査の結果、ちょっと前までは「駐車場は身障者車両用の3台分しかありません!!」だったのが、いつの間にか「一般の方もどうぞ!!」になってることが判明いたしましたっ。
 で、新しく“く”の札を考えなくちゃならなくなったんですけど、ナンダカンダで今日も朝からテンヤワンヤの大騒ぎですからっ、すぐには思いつかないんでゴザイマスのよねーっ。そーゆーよーなワケで、とりあえずウチの会社のカーセレクション事業部の広告を入れておくことにいたしました。
 ご存じかどうか知りませんけどっ、平成の大不況の余波のみならず、オトトシあたりからのエコカー減税やら補助金の導入、自動車メーカーのリコール騒ぎやナンやらの影響で、中古車業界はミゾユーの致命的ダメージを蒙っております。あーそれなのにソレなのに、「なんでココ・モビロは低価格&高サービスを維持できているのか?」ちゅーとですわね、歯を食いしばって我慢しているからでゴザイマスのヨッ。
 今なら、ご来店の際に「どーすりゃいいのさ東村山を見た」と言っていただくと、2匹のトイプーが飛び掛からんばかりに大歓迎いたします。在庫車にご希望のクルマがなければ、毎週火曜日のオークションでお探しいたします。
 ンナコトですからっ。
★カーセレクション事業部「ココ・モビロ」

やってよかったのかごみ袋の有料化

やってよかったのかごみ袋の有料化
 ウチの会社の事務所の入っているマンションは、決して単身者用ワンルームじゃなくてファミリー向き3DKで、今さら知らなかったでは済まされないオトナが事務所や住宅のごみを出してるわけですけど、それでも分別の仕方はメチャクチャで、収集日の何日も前から出してあるし、有料ごみ袋で出さなきゃならないごみを普通のポリ袋に突っ込んであったりします。
 でも、ブッチャケた話、それもしょうがないかなぁという気がするんですのよねーっ。ごみの処理にお金がかかるのはわかりますけど、東村山市の場合は、財政逼迫状況にせっつかれて無理やり有料化しちゃったところがあって、しかも、ただでさえ隣は何をする人ぞの時代に、「有料化のお知らせ」をホームページと市報で告知しただけじゃ、周知徹底なんかできたもんじゃございませんわよっ。だいたい、いまだに「朝8時までに出せ」なんていうのは、遅番シフトで働いている単身者にとっては「夜中の3時に出せ」と言ってるとおんなじですものね。
 ルールっていうのは、たとえ一部の人にでも守ってもらえなきゃ何の意味もないと思うんですけどね。ま、ブツクサ言いながら今日も分別に精出ししてるアタクシですけど(ホンマカイナ)

孫は住んでるかむさしのiタウン四季の街

孫は住んでるかむさしのiタウン四季の街
 だいたい、この“むさしのiタウン四季の街”という名前がどーかと思いますけど、この「i」というのは何かと思って調べてみると、家族愛・隣人愛・ふれあいの 「i」 ちゅーんだからビックラこきますわね。
 ま、新銀行東京の経営失敗、東京オリンピックの誘致失敗、応援する“たちあがれ日本”の苦戦と、何かと御難続きの石原慎太郎都知事の旗振りではじまったこの都有地有効利用プロジェクトは、70年間の定期借地権付き一戸建て住宅を提供することで、いちおう「親子3代に住む人の新しいふるさととして創造し育まれていく街」になるんだそうですけど、70年後の2080年頃といえば、2055年にピークを迎える超高齢化社会で日本の経済がズタボロになっている可能性が高く、地球規模では温暖化と異常気象で大変なことになっているかもしれません。
 そんな何が起きてても不思議じゃないような時代に、おじいちゃんやおばあちゃんの先見の明に感謝して東京の片田舎に住み続けているような孫が、いったい何人いるんだろうかってことですわよね。70年後の世界にそんなに希望が持てるほど、どー考えたって21世紀のニッポンは天下泰平の国じゃありゃしませんのよっ。
 生きてれば石原元都知事は148歳になってますけど、「それでありゃいったいどーだったんだいね」と千体地蔵最中でも持って聞きに行きたいもんですわよっと。

★むさしのiタウン・四季の街

血税で満開税務署の桜 血税で満開税務署の桜
 ウチの会社の事務所のあるマンションは、鷹の道と市役所通りの交差点の角にあるもんですから、明けても暮れても、東村山市役所と東村山税務署を眺めながらシゴトをしているわけですけど、このハス向かいの東村山税務署の桜がね、なーんか頭にくるほど毎年見事に満開になりやがるんでございますのよ。
 桜の木の下には死体が埋まっているとも言いますけど、あのちょっと濃いようなピンクの花には、ゼッタイに国民の血が混じってるに違いないと思うんですのよね。ま、税務署の桜の下で花見をしている人は1度も見たこともないので、地元のミナサンもおんなじ思いで見てらっしゃるんでしょうけどね。
 やっぱり税務署らしいと植物いえば、寄生植物のヤドリギだとか、食虫植物のウツボカズラ、葉っぱがヤスリの代用品になるトクサ、ほかの植物に巻きついて枯らしてしまうベンガルボダイジュ、「リトル・ショップ・ オブ・ホラーズ」に出てくる吸血植物“オードリーU”あたりがよろしいんじゃないですかね。あっ、それよりも、動物だったらヒルがいちばんイメージピッタリですわね。
 アタシラ国民だってね、税金の無駄遣いさえやめていただければこんなことは言わないんですけどね。ソコントコ、よーく考えて下さいましね。

★国税庁ホームページ「東村山税務署」
富士山が見えなくなった東村山駅舎

富士山が見えなくなった東村山駅舎
 なんで東村山駅の駅舎の2階の通路から富士山が見えなくなったかって、そりゃアレでございますのよ、パックンハウス・ドンブリタワーが建ったからでございますわよっ。えっ? 何かちょっと違う? いいのいいの。名前なんかどうでもいいの。要するに高層マンションになんか住めない貧乏人のヒガミなんでございますからねーっ。
 写真は見えていた頃の駅舎から見た冬の富士山ですけど、それにつけても、こないだまで確かに見えていた富士山が、ある日突然見えなくなるというのは無性に寂しいんですのよね。やっぱり富士山は天皇陛下と並ぶ日本の象徴なんでしょうかしらね。
 ところで、江戸時代末期の日本では、信仰の対象でもあった富士山のミニチュアをみんなで築造することが流行りました。そのほとんどは戦後の開発にともなって破壊されましたが、東村山市内には2つが残っています。1つは熊野神社の境内にある“久米川富士”(6m)、もう1つは東村山駅から南へ500mの地点にある“浅間塚”(5m)です。できた当初は頂上に立つと本物の富士山が西方に見えたのでしょうが、もちろん今は見ることはできません。両方とも「エッ、こんなところに!!」という場所にありますけど、お暇な方は1度ご覧下さいましね。

国宝あって宝の持ち腐れ 国宝あって宝の持ち腐れ
 「東村山市内にある建造物としては“都内唯一”の国宝」とちょっと前までは言えたのですが、200910月に旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)が国宝に指定されてしまったので、今や“都内唯二”になってしまったのが、東村山市にある“正福寺千体地蔵堂”です。
 評論家の山田五郎氏は、お世辞半分で「日本一さりげない国宝」とおっしゃってましたけど、実際は「日本一ホッタラカシにされていた国宝」なんですのよね。鎌倉の円覚寺舎利殿と並ぶ中世禅宗様建築の代表的なもので、室町時代の応永14(1407)建立というから、今からおよそ600年前に造られたものです。
 国宝に指定されたのは昭和4(1929)ですけど、東村山市民は「そっだなバカな」と口をあけたまま、そのまんま80年が経ってしまったワケですね。国宝が1つもない区市町村からは羨望の目で見られつつ、「東村山市民は国宝の価値がわかってない」と陰口を叩かれながら、「ほなどーすんだいね」と口をあけたまま、あと80年ぐらいは考えてるんじゃないでしょうかしらね。
 ま、そのへんの脳天気な風土が東村山の魅力ではあるんですけど、もうそろそろ日本が文明開化したことぐらいは理解しといたほうがほうがいいんじゃないかと思うんですのよ、ウン。
江戸べらぼうに東村山だいね

江戸べらぼうに東村山だいね
 東村山は確かに東京の田舎ではありますけど、街道筋にあって“陸の孤島”というわけじゃないので、「これが東村山のオリジナル方言だ!!」と断定するのはちょっとむずかしいんですけど、手っ取り早いところでは、志村けんがコントでよく使っていたのが、東村山でも使われていた多摩北部・埼玉南西部の方言ということになりますね。
 代表的なのは、標準語の「です」が「だいね」になることです。そのほか、「あなたは」が「おめぇよぉ」、「なんですか?」が「あんだって?」、「なんでしょうかね」が「あんだかよぉ」、「言ってるから」が「言ってんから」、「押して」が「押っぺして」、「かきまわす」が「かんまわす」、「少しで悪いのですけど」が「ちっとんべぇでわりいんだけんども」になります。ちなみに、「だっふんだぁ」は、桂枝雀が落語で演じていた偉い人のクシャミに着想を得た志村けんのオリジナル・ギャグで、東村山の方言ではありません。
 どっちにしても、これらの方言を東村山で聞こうと思っても、現在も使っているのはごく一部の地元出身の高齢者だけで、街中で聞こうと思っても至難の業です。
 というよりも今や、某ポータルサイトの質問コーナーに、「DVDで見たんですけど、『イッチョメ、イッチョメ、ワーオッ!』の“イッチョメ”は、どういう意味の東村山方言ですか?」というのが載ってるぐらいで、すでに志村けん自身が還暦を迎えていたりしますしね、昭和時代の人間としては隔世の感に驚くしかありませんわね。

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天下の農道府中街道

天下の農道府中街道
 ま、これも東村山市に限りませんけど、震災後や戦災後の都市計画とは無縁だった地方小都市のくせに、なまじ交通の便がいいせいで急速にベットタウン化した街というのは、道路整備事情が考えられないほどメチャクチャだったりします。
 なかんずく東村山市の場合、片側2車線以上あって立体交差化も進んでいる21世紀の道路と認めてイイ道路は、南部を東西に横断する新青梅街道ぐらいで、中心部を南北に縦貫する府中街道と来たらアータ、片側1車線の閉塞気味の毛細血管状態で、ホントは大型車両が通れるような道路ではありません。市でもこんな状態をなんとかしようと、踏み切りの立体化や道路拡張を目的とした都市計画を策定していますが、私なんか果たしてその完成の日まで生きていられるどうか自信がありませんのよね。
 ただでさえ国会での無策のシワ寄せが地方になだれ込んでいる時代に、税収が減る一方の東村山のような貧乏市にとっては泣きっ面に蜂なんですのよね。
 特に困っちゃうのは、いちおう歩行者の安全を図るという名目で、ただでさえ狭い道路に無理やり歩道を作っちゃったために、かえって歩行者が歩きにくくなっている一部の道路です。死亡交通事故が減っている一方で、軽微な事故がどんどん増えている原因は、ドライバーのマナーの低下とともに、この“なくてもいい危険な歩道”も一翼を担っている気がするんですけどね。

秋津平和観音は戦闘機墜落の地 秋津平和観音は戦闘機墜落の地
 太平洋戦争時のアメリカ軍の多摩地方への空襲は、東京の市街地に比べると小規模なものでしたが、それでも数多くの犠牲者が出ています。
 なかでも悲惨だったのは、田無駅周辺に1トン爆弾が投下された1945年(昭和20年)412日の空襲で、駅周辺だけで53人が亡くなりました。田無市ほどの多数の犠牲者は出していないものの、東村山市も戦争中は5回の空襲を受けています。
 1945
42日未明、日本軍の対空砲火が命中し、爆撃機B29が火だるまになって秋津町に墜落しました。民家1戸が全焼し3人が行方不明となりました。爆風で空いた大きな穴の中に横たわるB29の残骸の傍らには、11名のアメリカ兵の遺体がバラバラになって散乱していました。薄明とともに集まった人々のなかには、鬼畜米英に殺された同胞たちの恨みを晴らそうと、ちぎれた遺体を引きずりまわしていた人もいたそうです。
 そんな光景を見ていた小俣権次郎さんが、「仏様になれば敵も味方もないじゃないか」とつぷやいて、アメリカ兵のバラバラになった遺体を集めはじめました。集まった人々はしばらくそれを黙って見ていましたが、誰言うともなくいつしか遺体を拾い集めるようになって、調査にやってきた日本兵に見つからないようにと、近くのお堂の裏に埋めて丁重に弔ったのだそうです。
 小俣権次郎さんは、戦後になって隠しておいた遺骨や遺品を遺族に返却し、アメリカ軍から感謝状を贈られています。のちに、平和への願いをこめて墜落地に“秋津平和観音”を建立しました。

新編東村山かるたCへ続く


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